仏教

法事

百箇日:故人を偲び、冥福を祈る大切な節目

- 百箇日とは故人が亡くなってから百日目にあたる日を「百箇日」と呼びます。これは仏教の教えに基づいたものではありませんが、古来より日本で大切にされてきた伝統的な風習の一つです。百箇日は、故人があの世とこの世を行き来する期間を終え、本格的にあの世に旅立つ日と考えられています。この日を目安に、遺族は故人を偲びつつ、日常生活を取り戻していくための区切りとしてきました。百箇日の法要は、遺族や親族、故人と親しかった人々が集まり、寺院で営まれます。読経や焼香を行い、故人の冥福を祈るとともに、生前の思い出話に花を咲かせます。法要後には、会食の席を設け、参列者同士で故人を偲ぶのが一般的です。尚、地域や宗派によっては、百箇日ではなく、四十九日や一周忌など、別の日に法要を行う場合もあります。近年では、それぞれの家庭の事情に合わせて、日をずらしたり、簡略化したりするケースも増えています。
法事

百か日忌 – 故人を偲び、日常へと踏み出す節目

- 百か日忌とは「百か日忌」とは、愛する家族や親しい人が亡くなってからちょうど100日目にあたる日に営まれる法要のことです。 この日は、仏教の教えにおいて、故人があの世への旅路の節目を迎える大切な意味を持つ日とされています。古くから仏教では、人が息を引き取ってから49日間は「中陰」と呼ばれる、この世とあの世の狭間のような世界をさまようと考えられてきました。そして、故人はこの期間中、7日ごとにあの世の王である閻魔大王のもとで生前の行いを審判されると伝えられています。 そして迎える100日目こそが、閻魔大王による最後の審判が下り、故人の来世の行き先が決定する重要な日とされているのです。そこで、残された遺族は、故人が迷うことなく安らかな来世へと旅立てるようにと願いを込めて、百か日忌に法要を営み、故人の冥福を祈ります。 この日を目安に、仏壇に安置していた白木の位牌を、故人の魂が安住する場所として作られた本位牌へと入れ替えることが一般的です。 また、故人と生前に縁の深かった人たちを招いて、盛大なお膳を用意して供養する地域もあります。百か日忌は、故人の冥福を祈ると同時に、遺族にとっては深い悲しみから少しずつ立ち直り、前向きに生きていくための区切りとなる大切な節目といえるでしょう。
法事

日蓮聖人の御遺徳を偲ぶ「御会式」

- 「御会式」とは「御会式」とは、日蓮宗の開祖である日蓮聖人のご命日である10月12日を中心に行い、13日にわたって執り行われる、日蓮宗において最も重要な法要です。 この法要は、単に宗祖の命日を悼むだけでなく、日蓮聖人が生涯をかけて私たちに伝えようとした「仏法」への感謝の思いを新たにし、その教えを深く心に刻むための大切な儀式として位置づけられています。御会式は、日蓮聖人が亡くなられた1282年(弘安5年)10月13日に、お弟子である弟子檀那が、悲しみに暮れながらも、報恩感謝の気持ちを込めて法要を営んだことに始まります。鎌倉時代から現代に至るまで、長い歴史の中で受け継がれてきた伝統的な儀式です。法要では、日蓮聖人の教えを記したお経である「法華経」を読誦し、題目を唱えます。また、「万灯練り歩き」と呼ばれる、色鮮やかに装飾された万灯を掲げ、街を練り歩く伝統的な行事も各地で行われます。夜空を彩る万灯の灯りは、日蓮聖人の慈悲の光を象徴し、人々の心を温かく照らします。御会式は、日蓮宗の信者にとって、一年の中で最も大切な行事の一つです。この日蓮聖人のみ教えを再確認し、自らの信仰を深めるとともに、日蓮聖人の慈悲の光を胸に、より良い社会を築くために行動を起こしていくことを誓います。
墓石

五輪塔:あの世とこの世を繋ぐ祈りの形

- 五輪塔とは墓地でしばしば見かける、五つの石が積み重なった独特の形をした墓石を、五輪塔といいます。五輪塔は、上から順に「空・風・火・水・地」の五つの要素を象徴する形に積み重ねられています。この五つの要素は、古代インドの思想から生まれたもので、世界はすべてこの五つの要素から成り立っていると考えられてきました。そして、宇宙の構成要素であると同時に、人間の身体や精神とも深く結びついていると信じられてきました。そのため、五輪塔は故人の魂がこの五つの要素を経て宇宙へと還り、永遠の安寧を得るようにという願いを込めて建てられました。五輪塔は、古くから日本で大切に受け継がれてきたお墓の形であり、故人を偲び、その魂を慰めるための象徴として、今もなお多くの人々に選ばれています。
仏壇・仏具

煩悩と向き合う、お墓選び

- 煩悩とは私たち人間を苦しみの世界に縛り付けているのは、「煩悩」と呼ばれる心の働きであると、仏教では説かれています。 生きる中で経験する様々な苦しみは、すべてこの煩悩が生み出すものとされています。では、煩悩とは一体どのようなものなのでしょうか。 それは、私たちが日常的に経験する、怒りや嫉妬、執着といった心の動きです。 例えば、他人と自分を比べてしまい劣等感を抱いたり、過去の出来事をいつまでも悔やんだり、未来への不安に押しつぶされそうになったりするのは、すべて煩悩が原因です。これらのネガティブな感情に心が支配されてしまうと、私たちは穏やかさを失い、冷静な判断ができなくなります。 その結果、自分自身や周囲の人を傷つける言動をしてしまい、さらなる苦しみを生み出すことに繋がってしまうのです。煩悩は、私たちが生まれながらにして持っている心の性質のようなものです。 ですから、生きていく上で、煩悩から完全に逃れることはできません。しかし、仏教の教えを学ぶことで、自分の心の動きを客観的に見つめ、煩悩に振り回されないようにコントロールすることは可能です。煩悩を克服し、穏やかで満ち足りた日々を送るために、私たちは日々努力していく必要があるのです。
その他

仏教における五戒:死後も大切にしたい教え

- 五戒とは仏教には、人として正しく生きるための指針となる教えが多く存在します。その中でも特に重要とされ、基本的な戒めとして広く知られているのが「五戒」です。 五戒は、仏教徒に限らず、より良い人生を送るための道徳規範として、古くから大切にされてきました。-# 生命への慈悲の心、不殺生戒五戒の最初は「不殺生戒」です。これは、あらゆる生き物の命を奪うことを禁じる戒めです。 人間はもちろん、動物や昆虫など、大小を問わず、命あるものを傷つけたり、殺したりすることは許されません。慈悲の心を持って接し、生命を尊重することが大切です。-# 正直さと責任感、不偸盗戒二つ目は「不偸盗戒」です。これは、他人のものを盗んではいけないという戒めです。 盗みは、他人の財産を不当に奪うだけでなく、その人の信頼や心を傷つける行為です。正直に、自分の力で生きることを心がけ、他人のものを尊重しなければなりません。-# 純粋な行い、不邪淫戒三つ目は「不邪淫戒」です。これは、不倫や浮気など、道徳的に逸脱した男女関係を禁じる戒めです。 配偶者との貞節を守り、純粋な心で人付き合いをすることが求められます。-# 真実の言葉、不妄語戒四つ目は「不妄語戒」です。これは、嘘をついてはいけないという戒めです。 嘘は、相手を欺き、信頼関係を壊す行為です。常に真実を語り、誠実な態度で人と接することが大切です。-# 心をクリアに保つ、不飲酒戒五つ目は「不飲酒戒」です。これは、お酒に酔ってはいけないという戒めです。 お酒を飲むと、理性が鈍り、誤った判断をしてしまったり、他の戒めを破ってしまう可能性があります。心をクリアに保ち、正しい判断力を失わないために、お酒は控えることが求められます。五戒は、仏教の教えの根幹となる、大切な道徳規範です。これらの戒めを守ることで、私たちは心を穏やかに保ち、周りの人と調和しながら、より良い人生を送ることができるのです。
色々な葬送

真宗高田派について

- 真宗高田派の始まり真宗高田派は、浄土真宗の一派であり、親鸞聖人を宗祖と崇める教えです。その起源は、鎌倉時代にまで遡ります。当時、仏教は一部の貴族や僧侶のためのものでした。しかし、親鸞聖人は、「阿弥陀如来の慈悲はすべての人々に等しく注がれている」と説き、身分や性別、年齢に関係なく、誰もが救われる道を示されました。親鸞聖人の教えは、多くの人々の心を打ち、各地に弟子が広がっていきました。その中でも、真佛上人は、師である親鸞聖人の教えを広く人々に伝えるため、熱心に活動されました。特に東国と呼ばれる関東地方を中心に、熱心に教えを広め、多くの寺院が建立されていきました。これが真宗高田派の始まりとされています。真佛上人は、親鸞聖人の教えを忠実に守り、人々に分かりやすく説き聞かせました。その結果、真宗高田派は、関東地方を中心に広く信仰を集め、今日まで多くの人々に親しまれる宗派へと発展したのです。
葬儀

知っておきたい納骨の宗派:違いと共通点

納骨とは、火葬された後のご遺骨をお墓に納める儀式のことですが、その方法は宗派によって大きく異なることがあります。日本では古くから仏教が広く信仰されており、多くの宗派が存在します。そして、それぞれの宗派は長い歴史の中で独自の教義や作法を育んできました。そのため、納骨を行う際には、故人の方が信仰していた宗派のしきたりに従うことが大切です。例えば、仏教の中でも浄土真宗では、亡くなった方は仏様になるという教えから、お墓は仏様の住まわれる場所とされています。そのため、浄土真宗では、ご遺骨を全てお墓に納める「全骨納骨」が一般的です。一方、禅宗では、お墓は修行の場という考え方が根底にあるため、四十九日の忌明け後も、ご遺骨を自宅に持ち帰って供養する「自宅保管」を選択することも可能です。このように、納骨の方法は宗派によって考え方が大きく異なる場合があるため、事前に菩提寺の僧侶に相談し、適切な方法について guidance を得ることが重要です。また、最近では、宗教にとらわれず自由な形式で故人を偲ぶ「自由葬」も増えています。しかし、自由葬であっても、ご遺族が故人の信仰を尊重し、宗派の作法を踏まえた上で、納骨の方法を決定することが大切と言えるでしょう。
法事

故人を偲ぶ大切な行事:新盆の基礎知識

- 新盆とは新盆とは、亡くなった方が初めて迎えるお盆のことです。お盆は、亡くなった方の霊があの世から家に戻ってくる時期とされ、家族や親戚が集まり供養する大切な伝統行事です。日本では、古くから7月15日前後もしくは8月15日前後(旧暦)にお盆の行事が行われてきました。この時期に、あの世から帰ってくるご先祖様と一緒に、亡くなったばかりの方の霊も一緒に帰ってくると考えられています。特に新盆は、故人が初めて我が家に戻ってくるお盆なので、普段のお盆よりも手厚く供養するのが習わしです。新盆を迎える家は、故人の霊を丁重に迎えるために、親戚や親しい方を招いて法要を営み、僧侶にお経をあげてもらいます。また、仏壇には、故人の好物や季節の果物、故人が生前に愛用していた品などを供え、精一杯のおもてなしで迎えます。新盆は、故人を偲び、冥福を祈るとともに、残された家族や親族が、その死を改めて実感し、悲しみを分かち合う大切な機会でもあります。
法事

故人を偲ぶ七七日忌の一つ、以芳忌

- 以芳忌とは「以芳忌」とは、故人が亡くなってから35日目に行われる法要のことで、仏教における「七七日忌」の一つです。「七七日忌」とは、故人がこの世を去ってから四十九日までの間、七日ごとに計七回行われる追善供養の儀式のことを指します。仏教では、人が亡くなってから四十九日間は、故人が生前の行いによって裁きを受けながら、三途の川の岸辺で次の生を受ける準備をする期間だと考えられています。この四十九日間は「中有(ちゅうう)」と呼ばれ、現世と来世の狭間のような状態とされています。遺族は、故人が迷いなく安らかに旅立ち、一刻も早く成仏できるようにと願いを込めて、この期間に七回忌法要を営みます。そして、法要の席では僧侶にお経を唱えてもらい、故人の冥福を祈ります。「以芳忌」は、故人が亡くなってから五七日目の忌日であることから、「五七日(ごしちにち)」とも呼ばれます。また、三十五日の間、香を絶やさず供えてきたことに由来して、「満香供養(まんこうくよう)」と呼ばれることもあります。
法事

葬儀における「新帰元」:その意味と変遷

- 「新帰元」の意味「新帰元」とは、仏教において人の死を意味する言葉です。この言葉は、私たちがこの世に生まれたときにもともと持っていた姿、つまり仏としての純粋な状態に還っていくことを意味しています。「帰元」という言葉には、物事が本来あるべき場所へと戻っていくという意味があります。仏教では、私たちの魂はもともと仏から生まれたものであり、死によって肉体という仮の姿を離れ、再び仏へと還っていくと考えます。したがって、「新帰元」は決して恐れるべきものではなく、長い旅を終えて故郷へと帰るような、自然で安らかな出来事として捉えられています。仏教では、死は生の終わりではなく、新たな生の始まりと考えられています。そして、「新帰元」は、私たちが仏としての本来の姿を取り戻し、永遠の命へと続く新しい章を始める瞬間を意味しているのです。
葬儀

歴史で辿る浄土真宗の魅力

- 浄土真宗とは浄土真宗は、日本の仏教の宗派の一つで、一般的には「真宗」と略して呼ばれることが多いです。鎌倉時代に活躍した僧侶、親鸞によって開かれた教えが起源となっています。浄土真宗の一番大切な教えは「他力本願」です。これは、阿弥陀仏という仏様の限りない慈悲の力によってのみ、誰でも平等に浄土という幸せな世界に生まれ変わることができるという教えです。当時の仏教では、複雑な儀式や厳しい修行をしなければ救われないという考え方が主流でした。しかし、親鸞はそうではなく、阿弥陀仏への信じる心一つで救われると説き、当時の多くの人々に希望を与えました。この革新的な教えが、浄土真宗が広まる大きな原動力となり、現在でも多くの人々に信仰されています。
葬儀

故人へ寄り添う、納骨の袈裟

- 納骨の袈裟とは納骨の際に故人に着せる袈裟は、故人が仏の弟子となり、迷いのない安らかな世界へと旅立つことを願い、その道行きを助けるという意味が込められています。仏教では、人が亡くなることを「入寂(にゅうじゃく)」と言い、これは永遠に消滅してしまうという意味ではありません。この世に生を受けた時から持ち続けている、煩悩や苦しみから解放され、仏の教えの世界へ還っていくことを意味します。そして、死後に遺体が朽ち果て、土に還ることも、煩悩に満ちた現世での姿から解き放たれ、仏の教えへと回帰することを象徴しています。納骨の際に袈裟を身に纏うことは、故人が仏弟子となり、迷いのない安らかな世界へと旅立てるようにとの願いが込められた、大切な儀式と言えるでしょう。
お墓・霊園

お墓のローソク立て:種類と選び方

お墓参りに行くと、墓石の前に必ずと言っていいほど置かれているのがローソク立てです。これは、故人を偲び、冥福を祈るという大切な意味を持つお墓参りにおいて、欠かせないものです。ローソク立ては、単にローソクを立てるための道具としてだけではなく、故人への想いを象徴的に表す役割も担っています。そのため、形や素材、デザインも実に様々です。一口にローソク立てと言っても、石材を削り出して作られた重厚感のあるものや、金属製のシンプルなもの、ガラスや陶器など素材も多岐に渡ります。さらに、蓮の花や家紋など、故人をイメージした装飾が施されているものもあります。ローソク立てを選ぶ際には、お墓のデザインや宗派、地域によって適したものが異なるという点に注意が必要です。例えば、和型墓石には石材製の伝統的なデザインのローソク立てが一般的ですが、洋型墓石やデザイン墓石には、ガラスや金属など現代的な素材のものが合う場合もあります。また、宗派によっては、ローソク立ての形や数が決められている場合もありますので、事前に確認しておきましょう。ローソク立て選びは、単なるお墓の付属品を選ぶのではなく、故人への想いを形にする大切な行為と言えるでしょう。
マナー

葬儀における念仏の意味と役割

念仏とは、「南無阿弥陀仏」や「南無妙法蓮華経」といった、仏様の教えや功徳をたたえる言葉を、声に出して唱えることを指します。手を合わせて唱えることで、心を穏やかにし、亡くなった人を偲び、仏様の教えに近づくための、大切な行いとされています。念仏は、宗派によって解釈や唱え方が異なります。例えば、「南無阿弥陀仏」と唱える浄土真宗では、阿弥陀仏の限りない慈悲の力によって、すべての衆生が救われるという教えを信じ、感謝と帰依の気持ちを込めて念仏を唱えます。一方、「南無妙法蓮華経」と唱える法華経系の宗派では、お釈迦様の教えが説かれたお経である法華経こそが真実の教えであると信じ、その功徳を称え、感謝の気持ちを込めて念仏を唱えます。いずれの宗派においても、念仏は、ただ言葉を発するだけでなく、心を込めて唱えることが大切とされています。心を込めて念仏を唱えることで、仏様の慈悲に触れ、心が安らぎ、穏やかな気持ちになることができるとされています。
仏壇・仏具

葬儀における念珠:その意味と使い方

- 念珠とは仏教において、お経を読んだり、念仏を唱えたりする際に用いる仏具を念珠といいます。これは、ただ珠が連なった装飾品ではなく、煩悩を打ち砕き、心を穏やかに保つための大切な仏具とされています。念珠は、珠を繰ることで数を数え、読経した回数や念仏を唱えた回数を記録するために使われます。一般的には108個の珠が連なった形状をしていますが、これは、人間の心に渦巻く煩悩の数である108を表していると言われています。煩悩とは、私たちを苦しみの世界へといざなう、心の迷いのことです。念珠を手に持ち、珠を一つ一つ丁寧に繰りながらお経を読んだり、念仏を唱えることで、心を静め、雑念を払い、仏の教えに集中することができます。また、念珠は、常に身に着けることで、お守りとしての役割も果たすとされています。普段から持ち歩くことで、仏様とのつながりを感じ、心穏やかに過ごすことができるようになると言われています。
葬儀

日本の心:浄土真宗と西本願寺派

- 浄土真宗とは浄土真宗は、日本において広く信仰を集める仏教の一派です。鎌倉時代に親鸞によって開かれたこの宗派は、現在でも多くの人々に心の拠り所を提供しています。浄土真宗の最大の特徴は、「阿弥陀如来の限りない慈悲の力によって、すべての者が浄土に往生できる」という教えにあります。浄土とは、あらゆる苦しみから解放された、仏様の世界のことです。生前の行いに関係なく、誰もが平等に救済されるという教えは、当時の社会において画期的であり、多くの人々に受け入れられました。浄土真宗では、複雑な修行や厳しい戒律は必要とされません。ただひたすらに阿弥陀如来を信じ、その名を称える「念仏」を唱えることが、浄土へ往生するための唯一の道だと説いています。このシンプルながらも力強い教えは、時代や社会の変化を経ても色褪せることなく、現代社会においても多くの人の心を支え続けています。
葬儀

お墓選びで知っておきたい浄土宗

- 浄土宗とは平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて、人々の不安や苦悩が広がる中、すべての人々が救済される教えとして、浄土宗は生まれました。開祖は法然上人であり、その教えの中心となるのは、阿弥陀仏の限りない慈悲の力によって、誰もが平等に極楽浄土へと往生できるというものです。浄土宗では、厳しい修行や難しい教義の理解よりも、ただひたすらに「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えることを重視します。これは、阿弥陀仏への帰依を表明し、その慈悲にすがろうとする行いです。そして、その一心に念仏を唱えることこそが、煩悩に満ちた現世から、苦しみのない安楽な世界である極楽浄土へ生まれ変わる道だと説かれています。浄土宗は、その分かりやすさと実践のしやすさから、武士や庶民など、幅広い階層の人々に受け入れられました。そして、現代においても、多くの人々に心の拠り所として、信仰され続けています。
法事

年忌法要とは? ~故人を偲ぶ大切な儀式~

- 年忌法要の目的人が亡くなってから一年目以降、毎年訪れる命日を「年忌」といい、その日に営む仏教の儀式を「年忌法要」といいます。これは、ただ単に故人を偲ぶためだけの場ではありません。年忌法要の大きな目的は、故人があの世で穏やかに過ごせるよう、その魂の安寧を願い、冥福を祈ることにあります。 また、この世に生きる私たちにとって、年忌法要は、故人を偲び、生前の思い出を語り合いながら、共に過ごした時間に感謝の気持ちを改めて捧げる大切な機会となります。年忌法要は、遺族や親族が集まり、故人との繋がりを再確認する場でもあります。世代を超えて集うことで、家族や親族の絆を深め、故人の遺志を次の世代へと繋いでいくことができるでしょう。
法事

小練忌:故人を偲ぶ大切な七日間

- 小練忌とは小練忌とは、仏教において、亡くなった方を偲び、冥福を祈るために行う法要の中で、七日目に行われるものを指します。一般的には「五七日」や「五日」といった呼び方が馴染み深く、故人と特に親しかった親族や生前に縁の深かった人々が集い、読経や焼香を行います。この小練忌は、故人が亡くなってから初めて迎える忌日法要である「初七日」にあたります。残された者は深い悲しみに暮れている時期ではありますが、小練忌は、ただ悲しむだけでなく、集まった人々が共に故人を偲び、思い出話などを語り合うことで、悲しみを分かち合い、心の支えを得るための大切な機会でもあります。かつては、故人の自宅に僧侶を招いて法要を行うのが一般的でしたが、近年では、葬儀場や寺院の式場を利用するケースも増えています。また、小練忌の際に、僧侶へのお布施として「御膳料」や「お車代」などを用意するのが習わしとなっています。さらに、参列者に対しては、感謝の気持ちを表すために、粗供養などを渡すことが一般的です。
葬儀

葬儀と「血脈」:受け継がれるもの

- 仏教における血脈の意味仏教の世界で用いられる「血脈(けちみゃく)」という言葉は、仏の教えが師匠から弟子へと、まるで血が血管を流れるように連綿と受け継がれていくことを意味します。これは、単に知識や思想が伝えられるだけでなく、師の精神や生き方そのものが弟子に受け継がれ、仏教の教えが脈々と受け継がれていくことを表しています。血脈は目に見えるものではありませんが、そこには長い歴史の中で受け継がれてきた、師と弟子の深い絆と厳しい修行の歴史が凝縮されています。血脈を継承するということは、単に教えを受け継ぐだけでなく、その教えを体現し、後の世代に伝えていくという大きな責任を負うことを意味します。仏教の歴史において、血脈は非常に重要な役割を果たしてきました。釈迦の教えは、直接の弟子たちによって大切に受け継がれ、時代を超えて広く伝えられてきました。これはまさに、師から弟子へと受け継がれる血脈があったからこそと言えるでしょう。現代社会においても、仏教の教えは多くの人々に心の拠り所を与え続けています。それは、血脈を通じて受け継がれてきた、先人たちの弛まぬ努力と深い信仰心の賜物と言えるのではないでしょうか。
その他

葬儀における結界:その意味と役割

- 結界とは何か結界とは、もともとは仏教の世界で使われていた言葉で、修行を行う神聖な場所を邪悪なものから守る、いわば目に見えない壁のようなものを指します。 例えば、お寺の本堂や修行を行う道場など、重要な場所を他の場所から区切り、清浄な状態を保つために張られます。結界は、単なる物理的な仕切りとは異なり、仏の力や教えによって築かれる精神的な境界線としての意味合いが強い点が特徴です。 そこには、修行の妨げとなる魔物や邪念を払い、修行者が集中して悟りを開くことができるようにとの願いが込められています。現代では、結界は葬儀や法要など、故人を偲び、冥福を祈る儀式においても重要な役割を担っています。 葬儀場に張られた結界は、故人が安らかに旅立てるよう、そして残された者が静かに故人を見送ることができるよう、神聖な空間を作り出す役割を果たします。このように、結界は古くから仏教とともに日本人の生活に根付いてきた概念であり、目には見えないものの、人々の心を守る大切な役割を担っていると言えるでしょう。
お墓参り

納骨のタイミングと意味 – お彼岸との関係 –

お彼岸とは、一年に二度、春と秋に巡ってくる、ご先祖様を偲び、感謝の気持ちを表す仏教行事です。それぞれ七日間続き、春分の日と秋分の日を中日として、前後三日間を合わせた期間を指します。この時期は、太陽が真西に沈むことから、西方に位置すると信じられている極楽浄土と、私たちが住むこの世が最も近くなるとされています。 ご先祖様は私たちを見守り、支えてくださっているという教えから、極楽浄土にいるご先祖様に感謝の気持ちを伝えるために、お墓参りをすることが広く行われています。特に、お彼岸の中日である春分の日と秋分の日は、太陽が真西に沈むことから、ご先祖様と繋がることができる特別な日とされています。この日には、お墓に花やお菓子、故人の好物などを供え、手を合わせ、ご先祖様の冥福を祈り、感謝の気持ちを伝えます。お彼岸は、単にご先祖様を偲ぶだけでなく、自分自身の生き方を見つめ直し、感謝の気持ちを忘れずに過ごすための大切な機会と言えるでしょう。
法事

二十三回忌:故人を偲び、思い出を語り継ぐ

- 二十三回忌とは二十三回忌とは、故人が亡くなられてから満22年目の命日に行われる法要です。故人が亡くなってから二十三年目にあたる年に行うため、二十三回忌と呼ばれます。仏教では、故人の死後、年忌法要という形で定期的に追善供養を行います。これは、年を経るごとに薄れていく故人への想いを新たにし、冥福を祈るために行われます。年忌法要は、遺族が故人を偲ぶ大切な機会となっています。二十三回忌は、三十三回忌、五十回忌と並ぶ大きな節目とされており、特に故人と関わりの深かった親族や友人が集まり、盛大に営まれることが多いです。この頃になると、喪主を務めた配偶者も高齢になっている場合が多く、二十三回忌を区切りとして、以降の法要を縮小したり、親族間で役割を分担したりすることも増えます。二十三回忌は、故人を偲び、生前の思い出を語り継ぐとともに、遺族や親族が今後の供養のあり方について改めて考える機会となります。
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